5/3のオンエアは・・・ビートルズの神話
金曜日, 4月 30th, 20105/3のオンエアでは、ビートルズの「神話」を特集!
「Fab Four FAQ: Everything Left to Know About the Beatles . and More!」 や、「Fab Four FAQ 2.0: The Beatles’ Solo Years: 1970-1980」の著者であるロバート・ロドリゲズが登場し、ビートルズ神話の真相を解き明かします。お楽しみに!
5/3のオンエアでは、ビートルズの「神話」を特集!
「Fab Four FAQ: Everything Left to Know About the Beatles . and More!」 や、「Fab Four FAQ 2.0: The Beatles’ Solo Years: 1970-1980」の著者であるロバート・ロドリゲズが登場し、ビートルズ神話の真相を解き明かします。お楽しみに!
1960年代のロンドンがビートルズにどのような影響を与えたか―特集パート2。
今週はジョンとヨーコの出会いやApple Corpsの経営についてお送りしました。
ガイドは先週に引き続き、ポール・マッカートニーと長年の知り合いであり、ポールのオフィシャル自伝本「PAUL McCARTNEY-MANY YEARS FROM NOW」の著者バリー・マイルズ。
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1965年5月、アメリカのビート文学の詩人であるアレン・ギンズバーグが、アンダーグラウンドシーンの拡大のためにロンドンにやってきた際、ボブ・ディランのコンサートの後にサヴォイ・ホテルで行われたアフターパーティーで、初めてビートルズに会いました。ビートルズの雰囲気やオープンなところに惹かれ、翌週行われる自分(ギンズバーグ)の誕生日パーティーにビートルズのメンバーをバリー・マイルズを通じて招待し、パーティーにはジョン、ジョージ、ジョンの(当時の)妻・シンシア、ジョージの恋人・パティが出席しました。会場に到着した際、アレン・ギンズバーグは全裸だったそうで、それを見てびっくりしたジョンら4人は、一言二言交わしてすぐに退散したということです。「でも、その後ジョンは、アルバムのジャケットに自分の全裸の写真を載せてるんだよね(笑)」(※ジョンとヨーコのアルバム「Two Virgins」のこと。)とバリーは回想しています。
1960年代のアメリカではさまざまな視点から語るマスコミやアンダーグラウンド新聞が主流となりましたが、イギリスでの状況は違ったようです。バリーは当時ロンドン在住の記者としてニューヨークやロサンゼルスなどの新聞に記事を書いていました。「何でロンドンの新聞には音楽の記事がないのか?」と日頃から思っていたバリーは、インディカ・アート・ギャラリー・アンド・ブックショップを開店して間もない1966年10月、仲間たちと共に自分達のアンダーグラウンド新聞「インターナショナル・タイムズ」を発行開始します。発行部数はすぐに4万4千部くらいになったが、資金不足で給料も出なかったそう。そこで、ポールが「僕のインタビューを掲載すれば、レコード会社から広告費を貰えるんじゃないかな」とバリーに提案。早速ポールの自宅でインタビューすることになりましたが、それまで一度もインタビューしたことがなかったバリーはどうすれば良いのか分からず、とりあえずポールとの会話を録音したということ。スピチュアルな事から環境問題、実験的な音楽や映画の話などを録音したインタビュー素材には、お茶を淹れる音やポールの愛犬・マーサの鳴き声も入っていたとか。
一方のジョンは、ヨーコに出会うまでアヴァンギャルドなシーンにはまったく興味を示していませんでした。ジョンがヨーコに初めて会ったのは1967年11月9日。1960年代前半~中盤、ヨーコは、フルクサスという前衛芸術集団で活動していました。1966年9月、当時の夫であるアンソニー・コックスと娘の京子と共にロンドンに移住します。ヨーコはジョンに出会うまでビートルズの曲を聴いたことがなかったということですが、バリー曰く、「それは違うと思う。あれだけビートルズが時代を席巻していたのに、アメリカに住んでいたとしても、知らないはずはないよね」とのこと。ヨーコはインディカ・ギャラリーに来た際、ポールの住所を持っていたということ。ヨーコは前衛音楽家ジョン・ケージの楽譜を集めていて、ビートルズの楽譜も欲しいと思っていたのですが、ポールはそれを断り、もしかしたらジョンならOKって言うかも・・・とジョンを紹介するのです。ヨーコの影響から、1966年後半から1967年初頭、ジョンはついにアヴァンギャルドなムーヴメントに興味を持ち始めます。シンシアとの関係が壊れ始めていたジョンは、息子のジュリアンは傷つけたくないと思いながらもどうすればよいのかわからず、その時期は多くの時間をロンドン郊外で過ごしていました。1967年4月29日、インターナショナル・タイムズがスポンサーとなった珍しいイヴェントに出席したジョンは、そこで、オノ・ヨーコの真の前衛的な一面を見ることになるのです。それは、観客がヨーコの服を少しずつ切り、終いには裸になる「カット・ピース」というパフォーマンス。さらに42のバンドがステージの端から端まで並んで一斉に演奏し、「今行われたとしてもかなり斬新なイヴェントだったと思う」とバリーは語っています。
そしてこの頃、ビートルズはApple Corpsを設立します。バリー・マイルズは何回かApple Corpsのミーティングに参加しており、最初の構想はジョン・ダンバーのアパートで生まれたということ。Apple Corpsは、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインが亡くなった後に設立されたと言われていますが、バリーはそれは間違いであると指摘しています。アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」はアップルから出版され、すべてブライアンがアレンジしたもの。Apple Corpsは、ビートルズの経営を多角化して投資対象を増やした方が良いと会計士から言われたことから始まった会社であるということです。1967年8月27日にブライアンが亡くなった後、Apple Corpsはビジネス・プランを大幅に変更。ジョンとポールは、型にはまらないクリエイティブなアイディアを生かし、レコード部門以外にも学校やスーパーマーケット、ブティックなども作りたいなどという色々な案が出ていました。しかし、ビートルズの本心は「税金対策」のためにお金を使うこと・・・。当時本当にムダ使いをしており、レコード部門以外は惨憺たる状況で消費だけして形にならないものもあり、エレクトロニク部門のアップル・エレクトロニクスも失敗に終わりました。次第に手がつけられなくなり多額の損失が生まれますが、その状況に終止符を打つべく登場したのがアラン・クラインでした。
1969年には裸のジョンとヨーコが写っているジャケットのレコード「TWO VIRGINS」がリリースされたり、アップル・ブティックが失敗したり、、、とビジネス社会でApple Corpsは笑いものになっていました。そんな中、1969年5月29日、アラン・クラインが、ビートルズのビジネス面、ファイナンシャル面のマネージャーに就任します。但しポールは、ミック・ジャガーからアランについての良くない噂を聞いていたなどということもあり、契約に難色を示します。ビートルズ4人で集まりミックを招いて話を聞こうとしましたが実現せず、結局ビートルズはアラン・クラインと契約します。しかしポールはやはり、マネージメント契約を結びませんでした。
1960年代最後の日、ジョンとヨーコは新しい10年にむけてコメントを発表しています。「この10年で古い機械が粉々になるのは終わりです。皆さんの力があれば、また元に戻すことができると思います」―ただ、残念なことに、結局粉々になってしまったのは、ビートルズだったのです・・・。
♪バリー・マイルズ著 ポールのオフィシャル自伝本「PAUL McCARTNEY-MANY YEARS FROM NOW」
♪今週のおすすめソング
Taxman / Beatles(1966年発表 / アルバム「REVOLVER」収録)
「税金」の話題は60年代も現在も変わらず。ジョージによるこの風刺ソングから始まるアルバム「REVOLVER」を発表したビートルズは新たな時代を迎えることになります。そして彼らの税金対策は残念な結果に。。。
♪今週のおすすめアルバム
UNFINISHED MUSIC, NO.1:TWO VIRGINS / John Lennon & Yoko Ono (1968年発表)
衝撃的なジャケ写があまりにも有名。レコードは日本未発売で英米でも発禁。内容も前衛的すぎてラジオでオンエアするのはなかなか難しい・・・問題作です。
♪おまけ
アレン・ギンズバーグといえば、代表作「HOWL(吠える)」が収められている詩集は要チェック!
ギンズバーグに代表されるビート作家から始まるビートジェネレーションの入門編として、映画「ビートニク」もおすすめです。
4/26のオンエアでは、先週に引き続き、1960年代のロンドンがビートルズに与えた影響について特集します。
ヒッピー・ムーブメントが巻き起こる1960年代の興味深いカルチャーや、ジョンとヨーコの出会いについてなど盛りだくさん!お楽しみに!
1960年代のロンドンがビートルズにどのような影響を与えたか、2週にわたって特集します。
1週目は、主にポールのロンドンでの生活についてお送りしました。
ガイドは、ポール・マッカートニーと長年の知り合いであり、ポールのオフィシャル自伝本「PAUL McCARTNEY-MANY YEARS FROM NOW」の著者バリー・マイルズ。
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1963年3月、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインは、事業拡大のため拠点を首都・ロンドンに移し、ビートルズのメンバーのためにもアパートを購入しました。しだいにビートルズもロンドンで活動することが多くなりましたが、ジョンはシンシアと結婚していたので別のところに住んでいました(ちなみにジョンとシンシアはあちこち転々としてロンドンではケンジントンのアパートに住んでいたそうですがプライバシーが守られず、ビートルズの税理士の勧めでロンドンの南西約30kmのところにあるサリー州ウェイブリッジのセント・ジョーンズ・ヒルの邸宅に落ち着いた)。よって、ポール、ジョージ、リンゴの3人でブライアンが購入した狭いアパートに一緒に住んでいたのですが、1963年4月18日、BBCの「Radio Times」という雑誌の写真撮影でポールは17歳の新進女優ジェーン・アッシャーと出会い、それから3年間、ポールはロンドンのウィンポール・ストリートにあるアッシャー家で生活することとなります。
バリーは、「このシチュエーションこそ、まさにポールが探し求めていた環境だった」と語っています。「ガールフレンドがそばにいて、料理をしてくれる人がいて、ジェーンの母親は本当のお母さんのような雰囲気で、とてもあたたかい家庭のなかにいて居心地が良かったんだと思う。一歩外に出ればメディアに追いたてられるので、家のなかでは天国のような生活をしていたんじゃないかな」とバリーは話しています。アッシャー邸はとてもクリエイティブな空間で、ジェーンの母親マーガレットは家でクラリネットとオーボエを教えていました(学生時代のジョージ・マーティン(ビートルズのプロデューサー)にも楽器を教えていたそう!)。常に生徒が出入りし、キッチンでは誰かがいつも紅茶を用意し、そして地下の音楽室からは楽器の音が聞こえていました。父親は精神病の専門医ということで、いつも実験などをしていたということ。このアッシャー家の地下で、世界的大ヒットとなった曲「I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)」が生まれたのです!そしてジェーンもポールにたくさんのインスピレーションを与えました。「And I Love Her」はジェーンからインスピレーションを受けて作った曲です。その後、ポールとジェーンはセント・ジョーンズ・ウッドにあるリフォームしたポールの家に移り住みます。
バリー・マイルズとポールとの出会いの経緯について、1960年代のカウンターカルチャームーブメントが起こる前、バリー・マイルズ、ピーター・アッシャー(ジェーンの兄)、そしてポール・マッカートニーは、共通の友人を通じて知り合いました。バリーはロンドンで本屋を経営していたのですが売却されそうになったので、自分の好きな本だけを取り扱う本屋を開こうとしていました。すると、もともとの知り合いであった美術商のジョン・ダンバーがアートギャラリーをやりたいというので、ギャラリーと本屋を同じ場所でやろうということになりました(ちなみにジョン・ダンバーはのちにミック・ジャガーの恋人となる歌手マリアンヌ・フェイスフルの元夫でもあります)。ジョン・ダンバーはジェーンの兄・ピーター・アッシャーと大親友で家も近所でした。バリーはジョン・ダンバーに連れられてピーター・アッシャーに会いに家に行ったところ、アッシャー家の住人・ポール・マッカートニーにばったり会ったということです。それからバリーはアッシャー家に度々通うような仲になります。
アッシャー邸のポールの部屋は階段を上がって左側、小さなシングルベッドがあるシンプルな部屋でしたが、ヘフナー(Karl Hofner)のベースが立てかけてあり、それが部屋のなかで唯一金銭価値がありそうなものだったとか(笑)。面白いエピソードとして、ピーター・アッシャーが洗濯した靴下を探していてポールのひきだしを開けたところ、10万ドルくらいの現金がどばっとこぼれ落ちてきてびっくりした!と、それを目撃したバリーは回想しています。
ピーター・アッシャー、ジョン・ダンバー、そして、バリー・マイルズは、インディカ・アート・ギャラリー・アンド・ブックショップ(のちにジョンとヨーコにとって運命の場所となるビートルズファンには有名な画廊)の共同経営を始めるのですが、ポールはこれをバックアップすることになります。はじめはピーターがお金を貸していたのですが資本金が少なく破産を余儀なくされたところ、ポールが数千ポンドを出して難を逃れました。経済的な援助だけではなく、ポールはインディカ・ギャラリーのロゴなどもデザインしたということ(ポールは画家としても凄腕。アップルレコードのりんごマークもポール発案のもの)。この頃、バリーとポールは一緒にいることが多く、アヴァンギャルドなイヴェントにもよく足を運び、そこでポールはさまざまなインスピレーションを受けることになります。
ポールとバリーは、コーネリアス・カーデューという前衛音楽家のコンサートに一緒に行き、その夜は「ランダム・サウンド」な夜で、AMMというインプロ・バンドがでたらめに音を出すというもの(ちなみに、ピンク・フロイドのシド・バレットはAMMのギタリスト、キース・ロウからいろいろな手法を学んだ。)。これにはポールも他のオーディエンスとともに参加し、古いラジエーターに硬貨を擦り付けたり、ビールのマグカップを叩いたりしていたそう。このようなパフォーマンスのアイディアにポールは惹かれ、リバプールではできないであろうことをロンドンで経験していたのです。
1960年代のロンドンの街は、夜中に飲食する場所がなかったのでバリーはよく空港にご飯を食べに行っていたとか。そのうちに経済的必要性からロンドンにも深夜営業のクラブができ、最初は「アドリブ」というところだけでしたが、その後「バゴネイルズ」「ザ・スコッチ・オブ・セント・ジェームス」など、役者や社交界の人々が集まるようなクラブが次々にオープンします。高額で会員制でしたが、ロック・ミュージシャンは顔パス。そこに行くとロック関係の仕事をしている様々な人たちに出会うことができるのですが、ビートルズの4人は過密スケジュールのため、あまり顔を出せなかったようです。
バリーはこのようにビートルズの4人と親密になっていきます。ジョンとポールの曲作りの場には同席したことはないが、レコーディングには何度か立ち会ったことがあるとのこと。「ビートルズはとてもプロフェッショナルなバンドだった」とバリーは語っています...
来週も引き続き、1960年代のロンドンがビートルズに与えた影響について特集します。
♪バリー・マイルズ著 ポールのオフィシャル自伝本「PAUL McCARTNEY-MANY YEARS FROM NOW」
♪今週のおすすめソング
And I Love Her / Beatles(1964年発表 / アルバム「A HARD DAY’S NIGHT」収録)
先週からうって変わって(?)、ポールが恋人ジェーン・アッシャーとの関係について書いた曲。
ボブ・マーリーやサラ・ヴォーンなどジャンルを超えてカヴァーされている名バラードです。
♪今週のおすすめアルバム
Ammusic 1966 / AMM(1966年発表)
前衛音楽家コーネリアス・カーデューも参加しているインプロヴィゼーション・グループの衝撃的デビュー作!実際に彼らのライヴを体験したポールはもちろんのこと、ジョンにも間違いなく影響を与えたであろう驚愕の1枚!
♪おまけ
とっても余談なのですが、、、ビートルズのアパートといえば、千葉県に「ビートルズ・アパート」なるものがあるとか。アパートの壁に大きく4人の顔が描かれていて、かなり目立つそうなのですが・・・ご近所の方(もしくはお住まいの方!?)がいらっしゃいましたら、ゼヒとも写真をお送りくださいませ。
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