4/26 1960s Swinging London特集②
火曜日, 4月 27th, 20101960年代のロンドンがビートルズにどのような影響を与えたか―特集パート2。
今週はジョンとヨーコの出会いやApple Corpsの経営についてお送りしました。
ガイドは先週に引き続き、ポール・マッカートニーと長年の知り合いであり、ポールのオフィシャル自伝本「PAUL McCARTNEY-MANY YEARS FROM NOW」の著者バリー・マイルズ。
——————————————————————————————-
1965年5月、アメリカのビート文学の詩人であるアレン・ギンズバーグが、アンダーグラウンドシーンの拡大のためにロンドンにやってきた際、ボブ・ディランのコンサートの後にサヴォイ・ホテルで行われたアフターパーティーで、初めてビートルズに会いました。ビートルズの雰囲気やオープンなところに惹かれ、翌週行われる自分(ギンズバーグ)の誕生日パーティーにビートルズのメンバーをバリー・マイルズを通じて招待し、パーティーにはジョン、ジョージ、ジョンの(当時の)妻・シンシア、ジョージの恋人・パティが出席しました。会場に到着した際、アレン・ギンズバーグは全裸だったそうで、それを見てびっくりしたジョンら4人は、一言二言交わしてすぐに退散したということです。「でも、その後ジョンは、アルバムのジャケットに自分の全裸の写真を載せてるんだよね(笑)」(※ジョンとヨーコのアルバム「Two Virgins」のこと。)とバリーは回想しています。
1960年代のアメリカではさまざまな視点から語るマスコミやアンダーグラウンド新聞が主流となりましたが、イギリスでの状況は違ったようです。バリーは当時ロンドン在住の記者としてニューヨークやロサンゼルスなどの新聞に記事を書いていました。「何でロンドンの新聞には音楽の記事がないのか?」と日頃から思っていたバリーは、インディカ・アート・ギャラリー・アンド・ブックショップを開店して間もない1966年10月、仲間たちと共に自分達のアンダーグラウンド新聞「インターナショナル・タイムズ」を発行開始します。発行部数はすぐに4万4千部くらいになったが、資金不足で給料も出なかったそう。そこで、ポールが「僕のインタビューを掲載すれば、レコード会社から広告費を貰えるんじゃないかな」とバリーに提案。早速ポールの自宅でインタビューすることになりましたが、それまで一度もインタビューしたことがなかったバリーはどうすれば良いのか分からず、とりあえずポールとの会話を録音したということ。スピチュアルな事から環境問題、実験的な音楽や映画の話などを録音したインタビュー素材には、お茶を淹れる音やポールの愛犬・マーサの鳴き声も入っていたとか。
一方のジョンは、ヨーコに出会うまでアヴァンギャルドなシーンにはまったく興味を示していませんでした。ジョンがヨーコに初めて会ったのは1967年11月9日。1960年代前半~中盤、ヨーコは、フルクサスという前衛芸術集団で活動していました。1966年9月、当時の夫であるアンソニー・コックスと娘の京子と共にロンドンに移住します。ヨーコはジョンに出会うまでビートルズの曲を聴いたことがなかったということですが、バリー曰く、「それは違うと思う。あれだけビートルズが時代を席巻していたのに、アメリカに住んでいたとしても、知らないはずはないよね」とのこと。ヨーコはインディカ・ギャラリーに来た際、ポールの住所を持っていたということ。ヨーコは前衛音楽家ジョン・ケージの楽譜を集めていて、ビートルズの楽譜も欲しいと思っていたのですが、ポールはそれを断り、もしかしたらジョンならOKって言うかも・・・とジョンを紹介するのです。ヨーコの影響から、1966年後半から1967年初頭、ジョンはついにアヴァンギャルドなムーヴメントに興味を持ち始めます。シンシアとの関係が壊れ始めていたジョンは、息子のジュリアンは傷つけたくないと思いながらもどうすればよいのかわからず、その時期は多くの時間をロンドン郊外で過ごしていました。1967年4月29日、インターナショナル・タイムズがスポンサーとなった珍しいイヴェントに出席したジョンは、そこで、オノ・ヨーコの真の前衛的な一面を見ることになるのです。それは、観客がヨーコの服を少しずつ切り、終いには裸になる「カット・ピース」というパフォーマンス。さらに42のバンドがステージの端から端まで並んで一斉に演奏し、「今行われたとしてもかなり斬新なイヴェントだったと思う」とバリーは語っています。
そしてこの頃、ビートルズはApple Corpsを設立します。バリー・マイルズは何回かApple Corpsのミーティングに参加しており、最初の構想はジョン・ダンバーのアパートで生まれたということ。Apple Corpsは、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインが亡くなった後に設立されたと言われていますが、バリーはそれは間違いであると指摘しています。アルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」はアップルから出版され、すべてブライアンがアレンジしたもの。Apple Corpsは、ビートルズの経営を多角化して投資対象を増やした方が良いと会計士から言われたことから始まった会社であるということです。1967年8月27日にブライアンが亡くなった後、Apple Corpsはビジネス・プランを大幅に変更。ジョンとポールは、型にはまらないクリエイティブなアイディアを生かし、レコード部門以外にも学校やスーパーマーケット、ブティックなども作りたいなどという色々な案が出ていました。しかし、ビートルズの本心は「税金対策」のためにお金を使うこと・・・。当時本当にムダ使いをしており、レコード部門以外は惨憺たる状況で消費だけして形にならないものもあり、エレクトロニク部門のアップル・エレクトロニクスも失敗に終わりました。次第に手がつけられなくなり多額の損失が生まれますが、その状況に終止符を打つべく登場したのがアラン・クラインでした。
1969年には裸のジョンとヨーコが写っているジャケットのレコード「TWO VIRGINS」がリリースされたり、アップル・ブティックが失敗したり、、、とビジネス社会でApple Corpsは笑いものになっていました。そんな中、1969年5月29日、アラン・クラインが、ビートルズのビジネス面、ファイナンシャル面のマネージャーに就任します。但しポールは、ミック・ジャガーからアランについての良くない噂を聞いていたなどということもあり、契約に難色を示します。ビートルズ4人で集まりミックを招いて話を聞こうとしましたが実現せず、結局ビートルズはアラン・クラインと契約します。しかしポールはやはり、マネージメント契約を結びませんでした。
1960年代最後の日、ジョンとヨーコは新しい10年にむけてコメントを発表しています。「この10年で古い機械が粉々になるのは終わりです。皆さんの力があれば、また元に戻すことができると思います」―ただ、残念なことに、結局粉々になってしまったのは、ビートルズだったのです・・・。
♪バリー・マイルズ著 ポールのオフィシャル自伝本「PAUL McCARTNEY-MANY YEARS FROM NOW」
♪今週のおすすめソング
Taxman / Beatles(1966年発表 / アルバム「REVOLVER」収録)
「税金」の話題は60年代も現在も変わらず。ジョージによるこの風刺ソングから始まるアルバム「REVOLVER」を発表したビートルズは新たな時代を迎えることになります。そして彼らの税金対策は残念な結果に。。。
♪今週のおすすめアルバム
UNFINISHED MUSIC, NO.1:TWO VIRGINS / John Lennon & Yoko Ono (1968年発表)
衝撃的なジャケ写があまりにも有名。レコードは日本未発売で英米でも発禁。内容も前衛的すぎてラジオでオンエアするのはなかなか難しい・・・問題作です。
♪おまけ
アレン・ギンズバーグといえば、代表作「HOWL(吠える)」が収められている詩集は要チェック!
ギンズバーグに代表されるビート作家から始まるビートジェネレーションの入門編として、映画「ビートニク」もおすすめです。