LEGEND OF ROCK

MIWA LOCK presents

Legend of Rock


毎週木曜日、17:35からは、
MIWA LOCK presents LEGEND OF ROCK
新しい時代のトビラを開ける、名曲の数々を紹介します。

MIWA LOCK presents Legend of Rock 毎週木曜日、17:35からは、 MIWA LOCK presents LEGEND OF ROCK 新しい時代のトビラを開ける、名曲の数々を紹介します。


5/10

『FREE / ALL RIGHT NOW』

ラフでパワフルなコードに導かれて、その曲ははじまる。
解放弦の音をいかした、シンプルなA。
ドラムスが、大きなグルーヴのリズムを刻んでいく。
そして、しばらくすると、ブルージィなヴォーカルが聞こえてくる。
ロック史にその名を残す名曲のひとつ、フリーの ALL RIGHT NOW が
リリースされたのは、1970年、春のことだ。

そのとき、リード・ヴォーカルのポール・ロジャーズは、二十歳。
ギターのポール・コゾフは、19歳。
ドラムスのサイモン・カークも、19歳。
ベーシストで、ALL RIGHT NOWのメイン・ソングライターでもある
アンディ・フレイザーは、なんと、まだ17歳だった。

イギリスのロック・シーンは、ずっと昔から、
若くして、なにか、とてつもなく大きなものをつかみとってしまった
アーティストを、数多く、送り出してきた。
たとえば、ジョージ・ハリスンや、キース・リチャーズ。
あるいは、エリック・クラプトンや、スティーヴ・ウィンウッド。
彼らは十代でスタートラインに立ち、きちんとした成果を残している。
イギリスの文化や伝統が、彼らに、そういう力を与えたのかもしれない。

ロンドンで出会い、ブルースやリズム&ブルースを愛する気持ちで結ばれ、
フリーを結成した4人の若者たち。
彼らは、ALL RIGHT NOW によって、
その、英国ロック界の、いわば、神話のようなものを、
さらに確固たるものにした。

そして、ALL RIGHT NOW は、今もなお、その輝きを失うことなく、
永遠の名曲として、響きつづけている。

 

 

FREE

ALBUM『Fire and Water』
Release:2010年11月24日

 


 

5/10
『NIRVANA / SMELLS LIKE TEEN SPRIT』

1992年の2月。ニルヴァーナが、日本にやって来た。
記念すべき初来日だ。
しかし、結局、それが、彼らにとって、最後の来日公演となったのだった。

SMELLS LIKE TEEN SPRIT が、
アメリカのポップ・チャートで6位まで上昇したのは、その直前のことだ。
シンプルなコード・カッティングに重たいドラムスが斬り込んでくる、
あの衝撃的にオープニング。
疾走感、叫び。
それは、80年代のロックやポップが忘れかけていたものだった。
だから、すでに、多くの人たちが、ニルヴァーナこそが、
新しい時代のロックをリードしていく存在なのだということを認識していた。
ロックの歴史を変えてしまう存在、といっていいのかもしれない。
アメリカに戻ると、すぐ、中心人物のカート・コバーンとコートニー・ラヴが、
結婚式をあげることも決まっていた。

そういった状況にもかかわらず、ニルヴァーナの初来日公演は、
わずか4回だけという、意外なほど、小規模なものだった。
東京エリアでは、川崎チッタのステージにも立っている。

オール・スタンディングのオーディエンスからは、異様な熱気が伝わってきた。
パジャマを着たままのカート・コバーンが、彼らを前に、
激しくギターを弾き、吠えるように歌いつづけたそのライヴは、
日本のロック史に名を残す、伝説的なコンサートとして、
今も語りつがれている。

「涅槃」を意味する言葉を名乗った、ワシントン州出身の、ロック・バンド。
彼らは、その、伝説的なライヴを、
SMELLS LIKE TEEN SPRIT で締めくくった。
あれから、もう、20年の歳月が流れたことになる。

 

NIRVANA

ALBUM『NEVERMIND』
USMジャパン
Release:1991年09月24日
2011年11月9日(再リリース)

 

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4/26
「 BAD COMPANY / CAN’T GET ENOUGH」

スーパーグループという言葉がある。
いろいろな解釈ができる言葉だが、基本的にはロックの世界だけで通用する、
いってみれば、専門用語のひとつ。
基本的な表記は、ワンワード。もしくは、あいだに、ハイフンが入る。
「スーパーなグループ」程度の軽い言葉ではないということだ。
具体的には、すでに高い知名度を得ていた人たちが新たに結成したバンド、
といった意味である。

たとえば、エリック・クラプトンとスティーヴ・ウィンウッドの
ブラインド・フェイス、
あるいは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング。
あいついで1960年代末に登場した彼らの、話題性や注目度の高さが、
その「スーパーグループ」という言葉を生んだといわれている。

1973年に結成され、翌年、CAN’T GET ENOUGH や ROCK STEADYなどを
収めたセルフ・タイトル・アルバムでデビューをはたしている
バッド・カンパニーも、スーパーグループと呼ばれたロック・バンドのひとつ。

ヴォーカルのポール・ロジャーズとドラムスのサイモン・カークは、元フリー。
ギターのミック・ラルフスは、元モット・ザ・フープル。
ベースのボズ・バレルは、元キング・クリムゾン。
バッド・カンパニーは、資格充分、文句なしのスーパーグループだった。

サイモンのカウントからスタートする CAN’T GET ENOUGH は、
大ヒットを記録し、あっという間に、ロック・スタンダードの地位を
確かなものとしてしまう。

その完成度の高さと、聴く者をぐいぐいと引き込んでいくグルーヴ感は、
バッド・カンパニーが、特別なロック・パンドであることを
証明するものでもあった。

『CAN’T GET ENOUGH』

BAD COMPANY
ALBUM「BAD COMPANY(限定版)」
ワーナーミュージック・ジャパン
Release:2010年9月22日


 

4/26
ELVIS PRESLEY / THAT’S ALL RIGHT

ロックの王様、「キング・オブ・ロック」といえば、
やはり、エルヴィス・プレスリーだろう。
ジョン・レノンから、ブルース・スプリングスティーンまで、
大物アーティストたちも、みんな憧れた、
ロック界で最初のスーパー・ヒーローだ。
エルヴィス・プレスリーがいなかったら、
ロックという音楽は、存在していなかったのかもしれない。

エルヴィス・アーロン・プレスリーは、1935年1月8日、
アメリカ南部、ミシシッピ州の、テュペロという街で生まれている。
経済的には恵まれた環境ではなかったけれど、
両親の愛を一身に受けて育った彼が、最初に触れた音楽は、
毎週日曜日、教会で歌ったゴスペルだったという。

それからは、ラジオで耳にするようになったカントリー・ミュージックや、
家族で移り住んだメンフィスの公園で目にしたブルースマンたちの演奏にも
刺激されて、彼は、音楽への興味を深めていった。

1953年の夏、エルヴィスは、メンフィスのサン・レコードを訪ね、
「母親にプレゼントするため」という理由で、
1枚のアセテート・ディスクを録音している。
しかし、サン・レコードは、すでに有名な会社であったわけであり、
「自分の力を試したい」という気持ちが、どこにあったのかもしれない。

結局、それがきっかけで、エルヴィスは、1954年の夏、
サン・レコードからデビューすることになる。
曲は、ブルース・シンガー、アーサー・クラダップの THAT’S ALL RIGHT。
教会音楽と、カントリーと、ブルースが、エルヴィスのなかでひとつになって、
ロックンロールが誕生し、そして彼は、世界を変えてしまったのだ。


4/12『FLEETWOOD MAC / DREAMS』

ロック・バンドは、ある意味で、生き物のようなものだ。
ロックンロールという言葉が示すとおり、バンドは、転がりつづけながら、
そのロックを変化させていく。
そして、うまくいけば、そのロックを、大きく成長させることになる。
今から35年前の、1977年2月、フリートウッド・マックは、
アルバム RUMOURS をリリースしている。
妖精のように美しいリード・シンガー、スティーヴィー・ニックスの魅力を
的確に表現したジャケットが印象的なアルバムだ。
全米チャート・ナンバー・ワンを記録した DREAMS や、DON’T STOP、
GO YOUR OWN WAY など、ここからは、つぎつぎとビッグヒットが生まれ、
アルバム本体も、最終的に、4000万枚近くを売り上げている。
RUMOURS は、ロックという音楽が、社会に対して持つ意味すら
変えてしまった、ターニング・ポイント的なメガ・ヒット・アルバムなのだ。

しかし、彼らは、最初から、RUMOURS のような音を
目指していたわけではない。
1960年代の半ば、ロンドンでフリートウッド・マックが結成されたころ、
メンバーは、みんな、なによりもブルースを愛する若者たちだった。
オーティス・ラッシュやエルモア・ジェイムス、B.B.キングといった
偉大なブルースマンたちから受けた影響を、イギリスのロックとして
表現すること。それが、彼らの目標だった。

時は流れ、ロックのトレンドも変わっていくなか、
フリートウッド・マックは、変化と成長をつづけていった。
そして1970年代の半ば、彼らは、カリフォルニアで夢を追い求めていた
デュオ、スティーヴィー・ニックスとリンジィ・バッキンガムに出会い、
バンドを、新たなスタートラインに立たせた。

生まれ変わった、と、いってもいいだろう。
その大きな決断の成果が、RUMOURS と、あの DREAMS だったのだ。


『DREAMS』
Fleetwood Mac
ALBUM「噂」
Release:1977

 

 


4/5 「THE BLACK CROWES / REMEDY」

 

兄弟でロック・バンドをやる。 遊びでちょっとやるだけなら、いいけれど、
プロとしてつづけていくのは、 なかなか、簡単なことではないだろう。

けっこう、面倒臭いことも多いはずだ。
たとえば、ギャラガー兄弟をめぐる、さまざまな話題が、
その難しさを物語っている。
あのビージーズでさえ、人気絶頂の時期に、一度は分裂していた。
関係が近ければ、近いほど、なにか大きなことが起きると、
あと戻りできなくなってしまうのかもしれない。

1990年代の幕開けと同時に、ジョージア州から登場してきた ブラック・クロウズも、そういった、兄弟ロック・バンドのひとつ。
でも、彼らは、すこしのあいだ、活動を休止したことはあるけれど、
クリスとリッチのロビンソン兄弟を中心に、ずっと、 そのスタイルや姿勢を
変えずに、ロックしつづけてきた。
今も、したたかに、そして、しなやかに、ロックしつづけている。

ロビンソン兄弟の、絆の深さと、ロックを愛する気持ちが、
ブラック・クロウズそのものだった。 そういってもいいだろう。

ジョージア州が生んだ偉大なソウル・シンガー、オーティス・レディング。
同じく、兄弟の絆を大切にしていた、オールマン・ブラザーズ・バンド。
ローリング・ストーンズやフェイセズ。レッド・ツェッペリン。
いろいろなタイプの先輩たちからの影響を自由に、自然に取り込みながら、
ブラック・クロウズは、90年代の初頭に、彼らだけのロックを完成させた。

1992年発表のセカンド・アルバム THE SOUTHERN HARMONY AND MUSICAL COMPANION は、彼らの評価と人気を決定づけた作品だ。
その核となる曲、REMEDY からは、深い絆で結ばれたクリスとリッチの、
ロックに向けた、信念のようなものが伝わってくる。


3/29

「Green Day」

Cとか、Gとか、基本的なコードを、3つか4つ、弾ければいい。
気のあう仲間がいたら、ベースやドラムスをまかせる。
あとは、ギターをかき鳴らしながら歌うだけ。
心のなかに浮かんできた言葉、
たとえば、怒りや、誰かを愛する気持ちを、ストレートに歌えばいい。
それが、ロックの原点だったはず。

そのロックが、
巨大なエンタテインメント産業に取り込まれてしまったころ、
ロンドンやニューヨークで、
ある意味では、ロックの原点回帰ともいえる、
パンク・ロックが生まれている。1970年代半ばのことだ。

それから約10年。パンク・ロック本来のスピリットも
80年代という時代にすっかり取り込まれてしまったころ、カリフォルニアから、
つぎつぎと、新しい世代のパンク・ロック・バンドが登場してきた。
あれもまた、時代の停滞に対する、強烈なアンチテーゼだったのだろう。

その中心的存在として活躍したのが、グリーン・デイだった。
ギターとヴォーカルのビリー・ジョー・アームストロングは、
カリフォルニア州オークランドの生まれ。
15歳のとき、子供のころからの友人とバンドをはじめ、
2年後には、グリーン・デイと名乗っている。

大きな転機となったのは
WHEN I COME AROUND や BASKET CASEなどの名曲を収めた、
メジャー・デビュー・アルバム DOOKIE。
それからずっと、どれだけ売れても、音楽のトレンドが変わっても、
彼らは、そこで示したスピリットを、大切に守りつづけてきた。

2月に、40回目の誕生日を迎えた、ビリー・ジョー・アームストロング。
彼は今も、15歳のころの気持ちのままで、
ギターを書き鳴らし、歌いつづけている。


「Basket Case」
Green Day
ALBUM「Dookie」
Release:1994


3/22
「Blood, Sweat & Tears」

写真提供:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

ギタリストが二人、ベーシストとドラマーがそれぞれひとり。
リード・ヴォーカルは、ギタリストか、ベーシストが担当する。
あるいは、ヴォーカリストが別にいて、こちらは、マイクだけに専念する。
今からほぼ半世紀前、ビートルズやローリング・ストーンズが
登場してきたころは、それが、ロック・バンドの基本フォーマットだ。
レコーディンクではキーボードやストリングスを加えるにしても、
この、4人か、5人の編成でステージに立つというのが、
ロック・バンドの正しい姿だと思われていた。

ところが、もともと制約を嫌うタイプの音楽だったはずのロックは、
60年代を通じて、フォーマットや音楽のスタイルなど、
さまざまな面で、つぎつぎと、進化を遂げていくことになる。
意欲的なアーティストによる冒険がつづけられていった、
といういい方もできるだろう。

1967年、ニューヨークで結成されたブラッド・スウェット&ティーアズ、
BSTも、そのひとつだ。
中心メンバーは、ボブ・ディランの LIKE A ROLLING STONE で
オルガンを弾き、一躍、注目の存在となったアル・クーパー。
彼は、ホーン・セクションを含む、大きな編成のバンドを組み、
ジャズの要素も自由に、大胆に取り入れる、新しいロックを目指したのだった。
それは、まさに冒険であり、勇敢な挑戦でもあった。

しかし、なにか新しいことをはじめた人が、
すぐにあきてしまうというのも、ロックでは、珍しくはないこと。
アル・クーパーは、アルバムを1枚つくるとすぐ、バンドを去り、
彼の想いやコンセプトだけが、残されたメンバーたちによって、
受け継がれていった。
SPINNING WHEEL など、つぎつぎと大きなヒットが
生まれるようになったのは、それからのことだった。


ブラッド・スウェット & ティアーズ
「血と汗と涙」
発売元:ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル

 


3/15
「T-REX」

レスポールの低音弦を、豪快にひずませた、印象的なイントロ。
I WANNA BE YOUR MAN というダイレクトなメッセージが繰り返される、シンプルな歌詞。
そう、“20TH CENTURY BOY” だ。

T. REXがあの曲をリリースしたのは、1973年3月のこと。
あれからもう、39年もの歳月が流れた。
この曲を書き、ギターを弾き、そして歌ったマーク・ボランは、もういない。
気がつくと、20世紀も終わっていた。
それでも “20TH CENTURY BOY” が、その輝きを失うことはなかった。
多くの人たちによって聴きつがれ、歌いつがれてきた。
そして、イントロで鳴り響く、低音弦の印象的なリフは、
すべてのギタリストにとって、目指すべき目標となった。

1947年、ロンドンで生まれたマーク・ボランは、
チャック・ベリーやエディ・コクランに憧れて、ギターを手にとった。
一時期は、ボブ・ディランも聴きこんでいたという。
最初のグループ、ティラノザウルス・レックスのサウンドは、
アコースティック・ギターを生かしたものだったが、
やがてマークは、バンドの名前をT. REXと変え、
自らが弾くエリクトリック・ギターを核に、
ざっくりとしたリズムの、ハードなロックンロールを完成させている。

ギターに関しては、ジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンからも、
大きな影響を受けたそうだ。

ロックが大きな変化を遂げようとしていたあの時代、マーク・ボランは、
なんの制約も受けず、さまざまな分野から受け止めた刺激をミックスさせ、
強烈なヴィジュアル・イメージとともに、彼だけのロックをつくり上げた。
その最大の成果が、永遠の歌、“20TH CENTURY BOY” だったのだ。

「20th Century Boys」
T-Rex
Release:1973

 


3/1
「R.E.M.」

ジョージア州北東部の都市、アセンズ。
1980年代以降のアメリカン・ロックに、
計りしれないほど大きな影響を与えた
バンド、REMの歴史は、ジョージア大学を中心に広がる、
この街ではじまった。

REMはまた、キャンパス・レイディオ、
あるいは、カレッジ・レイディオと呼ばれていた、
大学生たちが運営するラジオに支えられて、大きくなったバンドでもある。
あらためてラジオの力を示したバンド、ともいえるだろう。
ヴィジュアル的な要素が、あまりにも重要視されるようになってしまった
あの時代、REMは、その存在自体が、
そういった風潮に対するアンチテーゼだった。

1970年代の末、ジョージア大学に入学したマイケル・スタイプは、
アセンズのレコード・ショップで働いていたピーター・バックと出会う。
ピーターは、ニューヨーク・パンクに強い関心を持っていた。
カリフォルニア生まれのピーターは、
ザ・バーズに影響されてギターを弾きはじめた男だ。
鋭角的なニューヨーク・パンクと、
真っ青な空と広い海をイメージさせるカリフォルニアのロック。
対照的なふたつの要素が、アセンズで出会い、
あの、REMのロックが生まれたのだ。

デビューからほぼ10年。1991年のアルバムOUT OF TIMEからは、
LOSING MY RELIGION や SHINY HAPPY PEOPLEなど、
つぎつぎと大きなヒットが生まれた。
アルバムも、アメリカだけで500万枚を売り上げ、
チャート・ナンバー・ワンを記録している。
大学の街で誕生したアンダーグラウンド・ヒーローは、
自分たちの道を貫くうち、気がつくと、
時代をリードするスーパー・バンドへと姿を変えていた。


”SHINY HAPPY PEOPLE”
「Out of Time」
Release:1991


2/23
「U2」

U2は、アイルランドのダブリンで結成された。
1970年代半ばのことだ。
4人のメンバーは、まだ、15歳か16歳の少年だった。
ちょうど、ロンドンでは、パンクの嵐が吹き荒れようとしていたころのことだ。
当然、彼らも、その熱気を感じとっていたはず。
しかし、若い4人は、誰のまねもせず、誰からも影響を受けず、
自分たちだけで、自分たちだけの音をつくり上げていった。

たとえば、ジ・エッジ。彼がもし、エリック・クラプトンや
ジミ・ヘンドリックスに憧れるだけの、普通のギター少年だったら、
あんなに個性的な音や奏法は生まれていなかっただろう。

そのようにして、妥協も、譲歩もせず、大きな存在へと成長していった
U2は、80年代の半ば、本格的にアメリカと向きあうことになる。
アメリカの大地、アメリカの文化、アメリカのルーツ音楽と向きあうことで、
あらためて、アイリッシュとしてのアイデンティティーを
見つめ直そうとしたのかもしれない。

その成果が、1987年に発表された “THE JOSHUA TREE” 。
荒野に立つ4人をとらえたアントン・コービンの写真が、
彼らの想いをきっちりと表現していた。

“THE JOSHUA TREE” から生まれたヒット曲のひとつ、
“WHERE THE STREETS HAVE NO NAME” のビデオは、ロサンゼルスで撮影された。
7th ストリートとメイン・ストリートの交差点に建つ、低いビルの上で、
4人が演奏する。躍動感のある、いい映像だ。
ビートルズの “LET IT BE” を意識したもの、といってしまえば、
それまでだが、あれは、U2からの、
アメリカに向けた挨拶のようなものでもあったのだろう。

”Where the Streets Have No Name”
「The Joshua Tree」
Release:1987


2/16
「10cc」

今から、37年前、不思議な感触の曲が、大きなヒットを記録している。

イギリスのチャートでは1位、アメリカでは2位。文句なしの大ヒット。
その「不思議な感触」は、美しいメロディを包み込む、
サウンド全体が与えるものだった。
深い霧に包まれているような感触、とでも、表現したらいいのだろうか。
その曲のタイトルは、I’M NOT IN LOVE。

それは、10ccという、ちょっと意味深な名前で
数年前から活動をつづけていた4人の男たちがつくり上げた、
まったく画期的なポップ・ソング。

サンプリングや、コンピュータ・レコーディングがスタートするのは、まだ何年も先のことだ。
彼らは、まず、こつこつと、300近い肉声を重ねていったという。
そして、レコーダーそのものを、キーボードのように使い、
あの、深くて、なにもかもを、優しく包み込むような音をつくり上げた。
4人の男たちは、それまでは誰も考えたことがなかった方法で、
ロックの世界を、また一歩、先に進めたのだ。

10ccの中心人物、グレアム・グールドマンは、
早くからソングライターとして活躍し、60年代半ばには、
ヤードバーズのヒット曲、FOR YOUR LOVE を書いている。

二人のメンバー、ケヴィン・ゴドリーとロル・クレームは、
「ギズモトロン」という画期的なギター・エフェクトを開発し、
80年代に入ってからは、ミュージック・ビデオの制作者として、
ポリスの「見つめていたい」や、エリック・クラプトンのFOREVER MANなど、いくつもの名作を残した。

I’M NOT IN LOVE は、つまり、本物のプロの、
クリエイティヴな職人集団がつくり上げた作品だったのだ。


「I’m Not in Love」
UICY-25051
『オリジナル・サウンドトラック+4』
10cc
税込価格 : 1,800
ユニバーサル ミュージック


「VAN HALEN」


デイヴィッド・リー・ロスがヴォーカリストとして完全復帰をはたし、
エディ・ヴァン・ヘイレンの息子、ウォルフガングがベースを弾く編成で、
あらためてスタートラインに立った、ヴァン・ヘイレン。
約14年ぶりのアルバム、A DIFFERENT KIND OF TRUTHを完成させ、
間もなく大規模な北米ツアーをスタートさせる予定だ。
ウォーミングアップをかねた先日のクラブ・ギグでは、
パワフルな演奏で、名曲満載のステージを聞かせたという。
「ヴァン・ヘイレン復活」である。

多くのフォロワーを生むこととなったヴァン・ヘイレンの歴史は、
1970年代の半ば、カリフォルニア州パサデナでスタートしている。
その核となったのは、オランダで生まれ、子供のころからさまざまな楽器を
手にしていたという、アレックスとエディのヴァン・ヘイレン兄弟。
パサデナを中心に活動をつづけていた彼らのバンドに、
デイヴィッド・リー・ロスと、ベースのマイケル・アンソニーが加わり、
次第に、ロック・ファンのあいだで、注目を集めるようになっていったのだ。

右手の指で弦をタップする、いわゆるライト・ハンド奏法など、
革新的なテクニックで、ロック・ギターの可能性を大きく広げたエディ。
強烈なセックス・アピールを発散するデイヴィッド。
そして、アレックスとマイケルの重量級リズム・セクション。
1978年に最初のアルバムを発表するとすぐ、彼らは頂点に立った。

笑いながら、余裕の表情で超人的なプレイを聞かせるエディは、
マイケル・ジャクソンのレコーディング・セッションにも招かれた。
そして、1984年。あの大ヒット曲が生まれる。
“JUMP” だ。

スーパー・ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンが、
シンセサイザーを弾き、デイヴィッド・リー・ロスが回し蹴りをきめる
ビデオ・クリップも話題を集め、“JUMP” は、全米1位を記録した。
ヴァン・ヘイレンのテクニックと、パワーと、魅力のすべてが、
最高の形でひとつに溶けあったのだ。

「Jump」
ALBUM「1984」
Release :1984


今日は
「OASIS」

イングランド北西部の都市、マンチェスター。
周辺部を含めた人口は、約250万人。

産業革命をきっかけに大きく発展したといわれているこの街は、
1960年代から、たくさんのアーティストを送り出してきた。
ザ・ホリーズ、ジョン・メイオール、ハーマンズ・ハーミッツ、10cc、
ザ・スミス、シンプリー・レッド、ストーン・ローゼズ、
ジョイ・ディヴィジョン、インスパイラル・カーペッツ。
ポップなところでは、テイク・ザット。
ビー・ジーズの3人も少年時代は、このエリアで過ごした。
彼らは、皆、それぞれのレベルで、ロンドンへの対抗心を抱きつつ、
音楽の力で、新しい時代への扉を、大きく開け放とうとしたのだろう。

そして、1990年代が幕を開けたころ、またひとつ、マンチェスターで、
新しいバンドが産声をあげた。オアシスだ。

インスパイラル・カーペッツのスタッフとして働いて経験をつみ、
知識を深めたノエル・ギャラガーは、その後、
弟リアムのバンドに合流し、オアシスと改名させた。
サウンドの主導権を握り、以前から書きためてきた曲を、弟に歌わせる。
クールな見方をすれば、そういうヴィジョンが、オアシスの出発点だった。

最初のアルバムDEFINITELY MAYBE をリリースしたのは、1994年。
オアシスは、ほぼ同時期にロンドンから登場したブラーと競いあいながら、
イギリスの、新しい時代のロックをリードしていった。

そして翌95年、 (WHAT’S THE STORY) MORNING GLORY? によって、
彼らはその評価と人気を不動のものとした。
ノエルはそこで、はじめてリード・ヴォーカルも聞かせ、強烈な存在感を示している。
タイトルは、“DON’T LOOK BACK IN ANGER” 。
気がつくと、オアシスは、次の世代に影響を与えるバンドになっていた。


「Don’t Look Back in Anger」
ALBUM「(What’s the Story) Morning Glory?」
Release :1995


「Foreigner」

当たり前の話かもしれないが、たくさんのヒットを飛ばし、
大きな成功を収めたロック・バンドは、ほぼ99パーセント、
アメリカかイギリスの出身だ。
1950年代の半ば、アメリカで生まれたロックンロールは、
60年代に入ると、イギリスからの波を受けて、大きく成長した。
それからも、アメリカ勢とイギリス勢が、互いに、
刺激や影響を与えあってきたのだ。

1970年代の半ば、
そのシステムや、暗黙のルールのようなものを打ち破るバンドが登場している。
フォリナーだ。

イギリス人が3人、アメリカ人が3人。
結成された当時の彼らの、そのユニークなメンバー構成が、バンドの名前の由来だという。

中心メンバーのミック・ジョーンズは、10代のころ、ロンドンで、
ミュージシャンとしての人生をスタートさせた。
いくつものバンドに参加し、
セッション・ミュージシャンやソングライターとしても働いている。
その経験を生かし、しっかりとアイディアを練り上げてつくり上げたのが、
フォリナーだった。

ヴォーカルに迎えたのは、フリーやバッド・カンパニーのコピー・バンドを
率いて、ニューヨークを中心に活動をつづけていたルー・グラム。
まったく無名の存在だったが、ミックは彼に、大きな可能性を感じたようだ。

COLD AS ICE、DOUBLE VISONなど、つぎつぎとビッグ・ヒットが生まれ、
フォリナーは、あっという間に、トップ・バンドの仲間入りをはたした。
そして、1981年に発表したアルバム “4” は、
アメリカだけで600万枚以上を売り上げるという、
驚異的な成功を収めている。
そこに収められたポップなハード・ロック
“URGENT” は、
80年代のロックの、ひとつの方向性を指し示すものだった。


「Urgent」
ALBUM「4」
Release :1981


「Cheap Trick」


ロックンロールは、アメリカから届けられたものだ。
アフリカの文化と、ヨーロッパの文化が、あの広大な土地で出会い、
ひとつに溶けあい、ロックンロールという、
まったく新しい音楽が生み出された。
そして、それが、20世紀を代表する文化として、
世界中に広まっていったのだ。
日本は、いってみれば、受け止めるだけの存在だった。

ところが、1970年代の末、画期的な現象が起きている。
イリノイ州で結成された4人組のバンドが、日本での成功をきっかけに、
世界への扉を開いたのだ。
チープ・トリックである。

ギタリストのリック・ニールセンは、15歳のころから、
イリノイ周辺で、いくつものバンドをわたり歩いた。
目標は、あのビートルズを超えること。夢は大きかった。

今の言葉でいうなら、イケメン二人と、お笑い系二人。
ユニークなラインナップが固まり、デビュー作を発表したのは、 1977年。
本国アメリカではまったく売れなかったが、なぜか日本では人気が爆発。
翌年4月には、初来日にして、ビートルズと同じ武道館のステージに立ち、
その時に残されたライヴ・アルバムによって、
ようやく、アメリカやイギリスでも、トップ・バンドの仲間入りをはたした。

78年の武道館で、チープ・トリックは、
日本のファンのために、完成したばかりの曲も聞かせている。
豪快にギターが鳴り響く、ポップなロック・ナンバー、「サレンダー」。
スマッシング・パンプキンズやグリーン・デイなど、
数多くの後輩たちに影響を与えていくことになるチープ・トリックの
その魅力が凝縮された、まさに、彼らの代表曲。


「Surrender」
ALBUM「Heaven Tonight」
Release :1978


「INXS」
INXS
「ダウン・アンダー」という言葉がある。
イギリスの人たちからからみれば、地球の反対側、
赤道の下に位置するオーストラリアやニュージーランドを意味する言葉だ。
その言葉の、微妙な感触が示すとおり、
少なくともロックやポップに関していえば、
オーストラリアやニュージーランドのアーティストが欧米で成功するのは、容易なことではなかった。

たとえば、先駆者のひとつ、ビージーズは、メンバー3人ともイギリス
の生まれだった。AC/DCも、中心メンバーは、イギリスで生まれている。
そこには、なにか、目にみえない壁のようなものがあったのかもしれない。

ところが、70年代の末から80年代の初頭にかけて、
オーストラリアからつぎつぎと、新しい世代の、優れたバンドが登場し、
その閉塞状況を打破した。重たい扉を開いたのだ。

たとえば、つねに、どことなくユーモラスな雰囲気をたたえていたメン・アット・ワーク。
彼らは、誇りを込めて、「ダウン・アンダー」という曲も録音している。
あるいは、のちに政治家としても活躍する知性派、
ピーター・ギャレットを中心にしたミッドナイト・オイル。
そして、イギリスやアメリカでも、WHAT YOU NEED や
KICK 、SUICIDE BLONDE など、たくさんの曲をヒットさせた、
インエクセス。

ジム・モリスンの再来とも呼ばれた、セックス・シンボル的存在、
マイケル・ハッチェンスをはじめ、インエクセスのオリジナル・メン
バーは、全員、オーストラリアの生まれだった。
純粋なオージー・バンドとして、彼らは、ロックンロールから
ダンス・ミュージックまで、さまざまな要素を自由に取り込み、
力強く、あの時代を駆け抜けた。
そして、間違いなく、ロックの世界に、変化をもたらしたのだ。

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「WHAT YOU NEED」
ALBUM「Listen Like Thieves」
Release:1985


今日は
「Fleetwood Mac」
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1967年にロンドンで結成されたころ、
フリートウッド・マックは、ブルース・バンドだった。
中心になった3人のメンバーは、ブリティッシュ・ブルースの
師匠的存在だったジョン・メイオールのバンド、
ブルースブレイカーズで出会っている。
ギタリストのピーター・グリーンは、B.B.キングや
オーティス・ラッシュを目指していた。
のちにサンタナがヒットさせる。
少し遅れて参加したもうひとりのギタリスト、
ジェレミー・スペンサーは、エルモア・ジェイムスの
スライド・プレイから強い影響を受けていた。
イギリス人として、徹底的にブルースをきわめること。
それが、若い彼らの夢だった。

1970年代が幕をあけたころ、
アリゾナ生まれのスティーヴィー・ニックスは、
カリフォルニアでリンジー・バッキンガムと出会い、恋に落ちた。
そして、ベイエリアを拠点に、二人で曲を書きはじめた。
デモ・テープを録音し、売り込みもした。
活況を呈していた70年代の西海岸ロック・シーンで成功をつかむこと。
それが、スティーヴィーとリンジーの夢だった。
ブルース・バンドとしてスタートしたフリートウッド・マックからは、
つぎつぎとメンバーが去り、音楽のスタイルも大きく変わっていた。。

1977年にリリースされた RUMOURS は、驚異的なヒットを記録す
る。スティーヴィーとリンジーの夢が、現実のものとなり、
そして、その夢が、ロック・シーンの流れを大きく変えたのだ。

Rumours
「Dreams」
ALBUM「Rumours」
Release :1977


「Guns N’ Roses」
Today's Artist!!!

1980年代の半ば、ロサンゼルスの街は、
夢を追いかける若者たちであふれていた。
その夢とは、ロック・バンドを組んで、成功を手にすること。

あのころ、サンセットやハリウッド周辺のライヴ・ハウスを目指して、
アメリカ各地から、そんな若者たちが集まって来た。
新しいバンドが生まれ、分裂し、また、新しいバンドが生まれる。
そして、ボン・ジョヴィの大成功がその流れをさらに
加速させたころ、ロサンゼルスの街から、とんでもないバンドが登場してきた
ガンズ・アンド・ローゼズ。

PARADISE CITY や WELCOME TO THE JUNGLEの
ビッグヒットを生んだAPPETITE FOR DISTRACTIONが世に出たのは、87年夏。
もちろん彼らも、ローリング・ストーンズから、レッド・ツェッペリン
まで、さまざまなバンドから影響を受けていた。
しかし、その音は、デビューした時点ですでに、
「ガンズ・アンド・ローゼズ」としか呼べないものだった。
さらには、アクセル・ローズとスラッシュが全身で発散する、あの危険な香り。
ガンズ・アンド・ローゼズは、本物だった。

Appetite for Destruction
「Paradise City」
ALBUM「Appetite for Destruction」
Release :1987


今日は
「ELTON JOHN」
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1947年の3月25日、ロンドン近郊の街で生まれ,
早くから、本格的にクラシック音楽を学び、その一方で、
ロックンロール時代のスターやビートルズから強い影響を受けた。
そして、仕事を通じて知りあった作詞家、バーニン・トーピンとの
コンビで曲を書き上げ、ピアノを弾きながら歌うというスタイルで、
独特の世界を築きあげた。

最初のアルバムを発表したのは、1969年の夏。22歳の時だ。

アメリカでは、シンガー・ソングライター・ブームがはじまろうとしていた。
若い彼は、その、新しい動きからも刺激を受けながら、
バーニン・トーピンとともに、自分たちの歌の世界を磨きあげていった。

大きく状況が変わったのは、1970年から71年にかけてのこと。
「ユア・ソング/僕の歌は君の歌」が、イギリスとアメリカで、
大ヒットを記録し、一躍、注目の存在となったのだ。

しかし、エルトンは、その美しい歌だけで語れるアーティストではなかった。
ピアノを弾きながら歌うスタイルは守りながら、
ぐっとハードな方向性を打ち出し、グラム・ロックからの影響も
とり込みながら、その世界をどんどん広げていった。

そして、1973年の2月。「クロコダイル・ロック」が全米No. 1を記録。
彼は、文字どおり、ロック界の頂点に立つ。
気持ちよくピアノが跳ね回るその曲は、古き良き時代のロックンロールへの、
エルトンからのオマージュだった。

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「Crocodile Rock」
ALBUM「Don’t Shoot Me I’m Only the Piano Player」
Release :1973


今日紹介するのは
「Paul McCartny」
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ザ・ビートルズのファースト・シングルLOVE ME DOがリリースされたのは、1962年の秋。
ビートルズは、デビュー当時から、自分たちが書いた曲を歌うことにこだわっていた。
今ではあたり前のことかもしれないが、
その姿勢というか、コンセプトは、それ自体が革命だった。

よく知られている話だが、
ジョン・レノンとポール・マッカートニーは、どんな経緯で書かれた曲でも、
レノン/マッカートニーの作品としてクレジットすることを決めた。
LOVE ME DOから、最後のアルバムLET IT BEまで、
どんなに状況が変化しても、二人はその決め事を守りつづけている。

ビートルズを解散させてからも、全米トップ10ヒットが20曲以上。
信頼するミュージシャンたちと結成したウィングスでも、多くのヒットを残した。

ジェイムス・ボンド・シリーズ第8弾のために書かれ、
3週連続全米2位を記録したLIVE AND LET DIEもそのひとつ。
ドラマティックな展開のあの曲は、ポール・マッカートニーのロックを
象徴する名作といえるだろう。

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「Live And Let Die / Paul McCartny & Wings」
ALBUM「Band On The Run」
Release :1973


11/24
「Aerosmith」
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「夢が叶うまで 夢を追いつづけろ」
「ドリーム・オン」
40年以上にわたるエアロスミスの歩みを象徴する曲。
スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーは、
1960年代の末に出会っている。

ロックンロールやブルースを愛する若者たちは、やがて、
お互いの存在を意識するようになり、エアロスミスをスタートさせた。
「ドリーム・オン」は、そのころに書かれた曲。

夢を追いつづけた彼らは、デビューから3年後の1976年、
「ドリーム・オン」を大ヒットさせ、ロック界の頂点に立つ。

その後、いったんは解散寸前の状態にまで追い込まれたものの、
エアロスミスは、オリジナル・メンバーで力強く息を吹き返した。

間もなく、ニュー・アルバムも届けられるはずだ。
夢を追いつづける彼らの旅は、まだ終わっていない。

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「Dream On / Aerosmith」
ALBUM「Aerosmith」
Release :Jan 1973


11月17日
「Heart」
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70年代半ばのロック・シーンで、HEARTは、
一気にその人気と評価を高めていく。

そのころ、アンは、レコード会社のプロモーション方針に反発して、
「バラクーダ」の歌詞を書いている。
バラクーダは、鋭い歯が特徴の、カマス。転じて、獰猛な人を意味する。
きっと彼女は、ものすごい怒りを感じていたのだろう。

そのストレートな歌詞に、メンバーたちが、レッド・ツェッペリンからの
影響を感じさせる曲をつけ、そして、あの、アメリカン・ロックを
代表する名曲”Barracuda”が誕生したのだった。

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「Barracuda / Heart」
ALBUM「Liitle Queen」
Release :1977


11月10日に紹介するのは
「The Rolling Stones」
ミック・ジャガーは、今年の7月26日、68歳になった。
キース・リチャーズは、12月18日に、68回目の誕生日を迎える。
「もっとも偉大なロックンロール・バンド」、
ザ・ローリング・ストーンズを
支えてきた、というか、
転がしつづけてきた二人の男は、5ヶ月違いの同い年。

17歳のころ、ロンドンの、とある駅で、
ばったりと出会った二人は、一気に距離を縮めていく。
きっかけは、ミックが、チャック・ベリーとマディ・ウォーターズの
レコードを抱えていたこと。
その出会いが、ローリング・ストーンズの歴史の原点だった。

“It’s only rock n roll. But I like it”.
「たかがロックンロール。でも、そいつが大好きなのさ」

ロックの歴史そのものを生きてきたストーンズ。
彼らの想いが込められたこの歌は、
ロックを愛するすべての人にとっての、アンセムとなった。

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「It’s Only Rock ‘N Roll (But I Like It) /The Rolling Stones」
ALBUM「It’s Only Rock ‘N Roll 」
Release : Oct 18, 1974


11月3日に紹介するのは
「Jone Jett」
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ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツのI LOVE ROCK N ROLLは、
1982年の3月20日に、全米チャートナンバー・ワンを記録し、
それから、なんと7週間も、首位を守りつづけた。
シンプルなメッセージの込められたロックンロールは、
23歳の彼女を、一気に、ロック・クイーンの座へと押し上げた。

ジョーン・ジェットは、18歳のとき、
リタ・フォードやチェリー・カーリーと、女性だけのロック・バンド、
ザ・ラナウェイズを結成している。
ルックスにも恵まれた彼女たちは、つぎつぎとビッグ・ヒットを飛ばし、
そして、その成功が、
I LOVE ROCK N ROLL へとつながっていったのだ。

時代の流れを変えた、女性アーティスト、ジョーン・ジェット。
彼女は、53歳になった今も、大好きなロックンロールを歌いつづけている。

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「I Love Rock N’ Roll /Joan Jett & the Blackhearts」
ALBUM「I Love Rock N’ Roll」
Release : Jun 23, 1981


10月27日に紹介するのは
「THE WHO」
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ロンドンで結成され、
ビートルズやローリング・ストーンズより
すこし遅れてスタートラインに立ったTHE WHO.
彼らは、その強烈なライヴ・パフォーマンスと、
MY GENERATIONなど、抑圧された若者たちの気持ちを
代弁した曲によって、60年代半ばのロック界で、
独自のポジションを確立していく。
モンタレーや、ヴッドストックなど、
大きなフェスティバルでは、いつまでも語り継がれるような、最高のパ
フォーマンスを残した。

三重苦の青年を主人公にしたロック・オペラTOMMYによって、
ロックの可能性を大きく広げ、
一気にその評価を高めたTHE WHO。
彼らは、次のアルバム、WHO’S NEXTで、
さらなる前進を遂げる。
ピートが傾倒していた東洋哲学からの影響も感じられる
その作品で、彼らは時代に先駆け、
シンセサイザーにも取り組んでいた。
ザ・フーは、立ち止まらないバンドなのだ。

WHO’S NEXTは、強いメッセージのこめられた
WON’T GET FOOLED AGAINで幕を閉じる。
今も輝きつづける、永遠のアンセムだ。

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「WON’T GET FOOLED AGAIN / THE WHO」
ALBUM「Who’s Next」
Release : 1971


10月20日に紹介するのは
「LED ZEPPELIN」
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不世出という言葉がある。
「めったに現れないほどの、優れた存在」
といった意味の言葉だ。
レッド・ツェッペリンを「不世出のバンド」と
呼ぶことに異を唱える人はいないだろう。

レッド・ツェッペリンの中心人物、ジミー・ペイジは、
早くからスタジオ・ミュージシャンとして働き、
ギターの腕だけではなく、
プロデューサーとしての感覚もしっかりと磨きあげていった。
ヤードバーズの伝説を受け継ぐことになったとき、
ジミー・ペイジは、セッションの仕事で知りあったベース・プレイヤー、
ジョン・ポール・ジョーンズに声をかけた。
そして、二人でサウンドのコンセプトを固めたあと、
当時はまだ、ほとんど無名の存在だったロバート・プラントと、
ジョン・ボーナムを迎えた。
高音域まできっちりと歌いこなす男と、パワフルなドラマー。
4人がひとつになったとき、マジックが生まれた。
そのマジックから導きだされる音は、
誰にも真似のできないものだった。
たとえば、ROCK AND ROLL。
たくさんのバンドがカヴァーしたけれど、
誰もLED ZEPPELINの領域には近づけなかった。
「不世出のバンド」と呼ばれる理由は、
つまり、そういうことなのだ。

1980年の秋、ジョン・ボーナムが亡くなると、残された三人は、
レッド・ツェッペリンを解散することを、決めた。
ひとりでも欠けたら、あのマジックは生まれない。
だから、つづける意味はない。
「不世出のバンド」とは、つまり、そういうものなのだ。

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「ROCK AND ROLL / LED ZEPPELIN」
ALBUM「LED ZEPPELIN IV」
Release : Nov , 1971


10月13日に紹介するのは
「Grand Funk Railroad」
グランド・ファンクはミシガン州で結成された。
デビューは、 1969年。
ハード・ロックの世界は、ほぼイギリス勢に独占されていたころのこと。
彼らは、ひたすらハードなビートとサウンドを追求し、街から街へ、
旅の暮らしをつづけるなかで、大切な鍵を手にした。
71年の夏には、豪雨の後楽園球場で、衝撃的なライヴを残している。

WE’RE AN AMERICAN BANDで、グランド・ファンクは、
ロックンロールの伝統を守りながら、
旅先で出会うファンを大切にする、自分たちの姿を描いた。
そして彼らは、誇りをもって、「俺たちはアメリカン・バンド」と、歌っている。

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「We’re an American Band / Grand Funk Railroad」
ALBUM「We’re an American Band 」
Release : Jul 1973


10月6日紹介するのは「QUEEN」
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1970年代の半ば、クイーンは、
あの「ボヘミアン・ラプソディ」の
大ヒットで、ロック・シーンの頂点に立っている。
それぞれの分野で学問をきわめながら、4人は、
クイーンという名前のもとに、ひとつになり、
ロックの夢を追い求めてきた。
その夢が、ついに現実のものとなったのだ。
日を追うごとに、ステージの規模は大きくなっていく。

ある日、彼らは、いつまでもアンコールを求める熱狂的な
オーディエンスから強いインスピレーションを受けて、ひとつの曲を書き上げた。
わずか数秒で聴く者を深く引きずり込んでしまう、パワフルなイントロ。
誰もが自分の気持ちを投影できる、シンプルなメッセージ。

そう、あのWE WILL ROCK YOUだ。

やがてロック・アンセムと呼ばれることになる曲にふさわしい、誕生のエピソードだ。

News Of The WorldWE WILL ROCK YOU / QUEEN
ALBUM「News of the World」
Release
Nov 1, 1977

QUEEN Official


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