Featuring >> Adrian Sherwood

2014年1月15日 / Category:Part 1. Featuring

○ Part 1 Featuring : アーティストと音楽の関係に内面から迫るインタビュー ○

UKダブのパイオニアの一人、Adrian Sherwoodは、70年代からプロデューサーやエンジニアとして活躍。ジャマイカのミュージシャンとロンドンのパンク/ニューウェーヴ・シーンを繋げ、ダブ・ミュージックの新たな領域を切り開いた。そんな彼が、ジャマイカ音楽との出会い、自身のレーベルOn-U Sound設立のきっかけ、そして最新のPinchとのプロジェクトについても語ってくれた。

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私が育ったイギリスはとても多人種な国ですが、それに比べると日本はより単一的な民族性ですよね。私の周囲にはアイルランド、西インド諸島、インド、アメリカ、東ヨーロッパなど… 様々な場所出身の人たちがいて、それはとても幸運なことだったと思います。父は私がまだ幼少の頃に亡くなったんですが、母はセミプロのシンガーで、祖父もそうでした。義理の父も音楽好きだったので、常に音楽に囲まれていました。

私は60〜70年代に少年期を過ごしましたが、その頃聴いた音楽と言えば、Fats Dominoの「Walking To New Orleans」、その後ソウルやT-Rexなどを聴くようになり、さらに少ししてから、ソウルとレゲエにどっぷりはまるようになりました。12歳の頃には、カリブの音楽に取り付かれたようになっていましたね。

最初は、当時「スキンヘッド・ミュージック」と呼ばれていた、Symaripの「Skinhead Moonstomp」やJoe Gibbsの「Hijacked」、Rupie Edwardsの「Census Taker」、「コンコンコン、”Hey who’s that?”」という強烈なイントロなどで、聴いてすぐにファンになりました。それから、カリブの「Grenada May God Bless You」やMighty Sparrow(*共にカリプソ)などを聴くようになったんですが、中でもジャマイカの音楽は特に素晴らしくエキセントリックで、強く惹かれました。

私が幸運だったのは、13歳からDJが出来たこと。そのクラブを経営していた人物は当時30歳手前くらいで、私よりもずっと年上のジャマイカ人だったんです。彼が、私を見込んでくれて、信頼し、また私が正直者であるということを分かってくれました。そして私が大学を卒業すると、音楽ビジネスに招き入れてくれたのです。ですから、私が若くして一人で始めたわけではなく、先輩たちに助けてもらいました。

まずレコードのディストリビューションを始め、同じ年に、私とパートナーでテープのライセンスを始めました。自分のプロダクションを始めたのは19歳のときです。ミュージシャンを雇い、スタジオを借りて、Dennis Bovellという優れたエンジニアに参加してもらって、初めて自分のレコードを作り、自分の名前をプロデューサーとしてクレジットしたんです。それが、音楽プロダクションへの入口でしたね。

On-U Soundを立ち上げたときは、特にコンセプトはありませんでした。私の近くにいた人たちと一緒にレコーディングしたものを出すというだけだったんです。それまで、78〜79年くらいの間はジャマイカのミュージシャンと多く仕事をしていました。Sex PistolsやThe Clash、The Rats、The Slits、The Raincoatsといったバンドのメンバーたちが、よく私たちのライブに来ていて。中でも、The Slitsと、The Pop GroupのMark Stewartとは特に仲良くなり、これらの人たちとジャマイカの人たちと一緒にレコーディングをして、それが最初のリリース、『The New Age Steppers』になったんです。

Pinchとの共同制作は素晴らしい体験でした。彼はとても優れたプロデューサーですから。彼とはとても相性が良いと感じます。私はこれまで、レコードの背面にプロデューサー、あるいは共同作曲者としてAdrian Sherwood、またはA. Maxwellというミドルネームをクレジットする存在でしたが、ここ数年になって初めて表面に自分の名前を出しています。このSherwood & Pinchのプロジェクトでは、やっと自分たちのサウンドを発見出来たという段階で、お互いの化学反応も良いという手応えを得られるようになりました。大事なことは、自分たちが何を求めていて、何を求めていないか、それをクリアにすることで、そうすれば自分たちの音楽が見つかると思いますし、私たちはそれを追求しています。

Pinchと私の共通点は、二人ともプロデューサーであるというところです。Lee Perryはもっと一匹狼というか、本当に唯一無二な存在です。私は12歳の頃に、初めて彼が60年代に作ったレコードを聴きましたが、それまで聴いたどんなレコードとも違う音楽でした。「People Funny Boy」や「Return of Django」などなど… 数えきれません。エンターテイメントの仕事に関わる人間は皆、目の前の世界よりもより大きな、別世界へと連れて行ってくれるような体験を提供したいからです。私がレコードを作るなら、人々のスピリットに触れるようなものが作りたいと思います。その点、Leeのような人と仕事をするのはまるで魔法のようで、なぜならそれは彼自身が何か特別なものを作っていると信じて取り組んでいるからです。Pinchも同じです。人の心を揺さぶるようなものを作りたいと思っている。

私は生演奏が好きですね。全てをプログラムすることができるデジタルの分野では、色々な進歩があったと思います。ですから、私が音楽を作り始めた時代と比べると、今はデジタル技術を使ってする録音の割合が増えてはいます。かつては、全て生演奏でしたから。それを懐かしむ気持ちも少しはありますが、今現在作られている音楽を見れば、その95%がコンピューターで作られている時代です。それはそれで受け入れますが、全てのプロダクションに生演奏の部分も残すようにしています。生のギターやホーン、パーカッションなど、人間味を持たせるためです。

今現在、インターネットやデジタル・メディアのおかげで、世界のどこかで作られた音楽が聴かれ、模倣されるスピードがとても速い。現在のジャマイカ人はヒップホップをよく聴いているので、ジャマイカの音楽にはニューヨークやロサンゼルスなどの影響が強く出ています。レゲエも70年代の音楽ですが、それがダンスホール、ラガ、ジャングル、ダブステップといったベース・ミュージックに進化していった。でも、ジャマイカ音楽の遺産であるロックステディ、スカ、レゲエ、ダンスホールといった音楽の影響は、とてもグローバルに広がっていて、そして、このジャマイカが生んだ音楽の偉大なる歴史は世界的なリスペクトを集めている。今後この島からまた面白い音楽が生まれることは大いに期待出来る一方で、今現在面白いレゲエは必ずしもジャマイカから発信されているとは限らないという状況にあります。イギリス、ドイツ、フランス、もしかしたら東京で作られているかもしれない。世界一のサウンドシステムとして認められているのは東京のMighty Crownですから。

Gregory Isaacは、レゲエが世界で一番の音楽であると言いました。神に最も近いからだと。確かに、レゲエには多くのスペースがあり、リヴァーブやディレイや太い音など極端な周波数で出来ていますし、隙間が多い分、人々の想像力を掻き立てます。それにハイになって聴くのにも最適な音楽です。

私が思うには、70年代は人々が世界を変えられると思っていた時代でした。でも今は、まるで各政府が芸術を破壊し、音楽がもたらすメッセージを抑圧しようと企てているかのように思えます。好ましくないというか、不安さえ感じる状況です。音楽が世界を変えられると言っているわけではありませんが、少なくとも人々にインスピレーションをもたらし、健やかな精神や、歌詞を通して知性を広めることは出来ます。私に出来ることは、そういった優れたシンガーソングライターたちをレコーディングしたり、彼らとコラボレーションすることで、健全で進歩的な音楽を続けていくことだと思っています。

Sherwood & Pinchで私たちがやろうとしているのは、10年後、20年後に聴いても良いと思える音楽を作ることです。現代のダンス・ミュージックは、使用する機材やシンセサイザーによって色褪せてしまう。ですから、私たちが意識しているのは、現在らしい要素を入れながらも、曲の構成やパーツの強さによって、20年後に聴いても楽しめる、心を込めた音楽を作ることです。

Adrian Sherwood Official