涙
4 月 8th, 2011スーパー・スペシャル3週目、クライマックスの収録はこんな感じでした。
「ひばり」の台詞を語り終えてホッとしたのか、久野さんはリラックスしています。
「この箇所は私が大変なんだよなあ」とつぶやいたときなど、ニヤニヤ笑って「イエ〜イ!」と来ました。
おっと、貴婦人さま。
それって、「ひばり」について丸めこまれたことへのリベンジですか?
しかし。
「人の身体は時を超えられないが、心は感動で時を超える」というくだりを語り始めるや、久野さんの反応は一変します。
真剣そのものの表情で、台本を見つめているのです。
たしか指で言葉をなぞっていました。
一方、私の語りを全身でしっかり聴いて下さっている。
言葉というのは、正しく語るのも難しいのですが、正しく聴くのはさらに難しいのです。
「正しく聴く」というのは、つまり「言葉を正面から受け止める」ということ。
久野さんは私の言葉を、本当に正面から受け止めて下さっていました。
こうなると、私も語りやすい。
聴き手あっての語り手ですからね。
相手の語る言葉を正しく聞くこと。
これこそ、相手への最大のサポートなのです。
・・・さて。
「彼女(=久野さん)のショーに終わりはありません。それはただ、時々止まるだけなのです。もちろん、鳴りやまぬ拍手喝采によって」
ここまで語ったところで、私は久野さんに「どうでしょう?」とコメントを求めます。
久野さんは「もう、これからも精進します!」とおっしゃいました。
ところが。
つづく「時よ止まれ、あなたは素晴らしい」の語りを終えたときのことです。
このとき、スタジオには深く濃密な沈黙がありました。
「キャッツ」の台詞を借りれば、さしずめ「ナイフで切ってしまえそうな沈黙」というところ。
私は自分の語りを再生するよう、ディレクターに頼みました。
出来をチェックするためです。
もっともこういうときって、自分では客観的な判断を下せないものですけどね。
つまりは気休めですが、聴かずにはいられませんでした。
再生が終わったとき。
久野さんがディレクターに向けて手を挙げました。
「さっきのコメントを差し替えたい」とのこと。
ディレクターはそれを受けて、録り直しの準備に入ります。
すると久野さんは私を見つめ、こうおっしゃいました。
「こんなことを言われて、なんて言えばいいの?」
そして。
私はたしかに見ました。
久野さんの指が、右の目尻をそっとぬぐったのです。
そのときの私は、これが何を意味するのか分かりませんでした。
自分のパートを語り終えて、興奮していたせいです。
しかし後になって、衝撃とともに悟りました。
久野綾希子さんは涙ぐんでいたんだ!
それほど感動してくれたんだ!
私はあの瞬間を、これからずっと誇りにしてゆきます。
久野さんは、舞台だけでも何百万という観客を感動させてきた人。
計算すれば分かりますが、「キャッツ」一作で約八十五万人ですからね。
まして映画やテレビまで含めたら、千万単位になるはず。
そんな方が、私の言葉に涙を浮かべて下さったのです!
・・・録り直したコメントが、結局どんな内容になったか、ここでは書かないでおきましょう。
放送で聴いて下さい。
収録がすべて終わった後、久野さんはさらにすごいことをおっしゃったのですが、それもここでは書きません。
久野さんと私、そして安東さん(久野さんとの窓口になって下さった音楽プロデューサー。収録にも立ち会ってくれました)の秘密です。
ただし、これだけは言えます。
今回のスーパー・スペシャル、もしかしたら久野さんにとっても、ずっと思い出に残る内容になったのかも知れない・・・と。
四季の放蕩息子である私にとって、これ以上幸せなことはありません。
なんといっても久野綾希子さんは、四季が生んだ最も偉大な女優の一人なのですから。
と、同時に。
私は痛切に思いました。
これ以上のものは作れない。
いや、いずれは作れるかも知れないが、今すぐは無理だ。
「久野綾希子スーパー・スペシャル SHE’S A SHOW STOPPER!」こそ、SOUNDTRAX interzone の絶頂に違いない。
ならば終わっても悔いはない。
いや、少なくともいったんは終えるべきだ。
ここまで来た後、いったい何をやればいい?
絶頂のさらに上、というものはない。
かりに番組が続いたとしても、テンションは落ちていってしまうだろう。
「キャッツ」で四季の頂点をきわめた久野さんが、退団して新しく始めることを選んだように、私も新たな道を歩むことにしよう。
今回のスーパー・スペシャルを超える唯一の方法。
それは番組そのものを新しくすることだ。
リセットの時が来た!
最終回のクライマックスが、番組全体の絶頂となったのは、とても素晴らしいことだと思っています。
——久野綾希子さん。
SOUNDTRAX interzone にいらして下さって、本当にありがとうございました。
このスペシャルを作ることで、私がどれだけ多くのことを学んだか、それは語り尽くせません。
ご存知の通り、劇団四季では役者にたいし、演技において「無になる」ことの重要性を強調します。
「素(す)になる」とか「透明になる」という表現も使われますが、要は自意識を捨て去ることで、「演じている自分」を消滅させるということですよね。
胸を張って言いましょう。
「時よ止まれ、あなたは素晴らしい」。
あの瞬間、私は自分が無になるのを実感しました。
語っている私は、もう存在しない。
ただ、言葉と声だけがある。
それがどういう状態なのか、身をもって味わうことができました。
自分が空虚なのに、その空虚が何かで満たされている。
喜びと悲しみの両方に通じる何か。
そして、そこから圧倒的な幸福感があふれだす。
「絶望の果てには、真っ白い空き地が広がっている。そこで人間はほとんど幸せなのだ」
あなたの好きなジャン・アヌイの言葉を思い出します。
そのアヌイが敬愛したジャン・ジロドゥは、「間奏曲」という芝居の中で、人間の現実を超えようとするヒロイン・イザベルにたいし、「人間の存在のきわみ(=極限の領域)に触れてはいけませんよ」と、いたずらっぽく警告しました。
そしてイザベルは「存在のきわみ」に触れようとしたばかりに、あやうく死にかけることになります。
でも、ジロドゥだってもちろん分かっていたはず。
無になる危険を冒してでも、存在のきわみに触れようとすることこそ、人間の生命の輝きであり、その偉大さなのだと。
この輝きに形を与えられる人こそ、真の芸術家です。
シェイクスピアも。
ジロドゥやアヌイも。
ルイ・ジュヴェも。
エディット・ピアフも。
ジュディ・デンチも。
越路吹雪さんも。
そして、あなたも。
ファウストの言葉を語って、私は無になりました。
DJの私が存在しなくなれば、番組は終わりです。
けど、これは最高の終わり方です。
時間を止めて消えてゆけるのですから。
「芝居は終わりだ。
今まで目の前にいた役者たちは、先に言っておいた通り、みな妖精。
もう空気の中に溶けていった。
薄い空気の中へ。
だが現実もまた、はかない幻にすぎぬ。
雲に届く摩天楼、きらびやかな宮殿、
威厳に満ちた寺院、いや、地球そのものさえも。
われわれ人間は、夢と同じもので作られている。
われらのささやかな人生は、
眠りに始まり、眠りに終わる」
ご存知ですよね。
シェイクスピア「テンペスト」終幕の名台詞です。
久野綾希子さん。
収録の数日前に電話でお話しした際、「このスーパー・スペシャル、すごいよね!」とおっしゃって下さいましたね。
月並みな謙遜はしません。
たしかに今回のスーパー・スペシャルはすごい。
この番組の歴史を通じても最高の出来だ。
私自身、そう思います。
でも、なぜすごいか分かりますか?
あなたがすごいからなのです。
私はただ、あなたにふさわしいスペシャルを作り上げたにすぎません。
なかなかの大仕事でしたけどね!
とはいえ、やりとげたと思っています。
それが私の誇りであり、喜びです。
粋で気高いあなたは真の芸術家であると同時に、みごとに魅力的な方。
ますますのご活躍をお祈りするとともに、これからも折に触れ、お仕事をご一緒させていただければ光栄です!
そして。
あなたの目のふちに浮かんだ涙を、私は決して忘れないでしょう。
あらためて、心から感謝します。

ありがとう、綾希子さん
