
テーマ「俺が見たバブルの時代」
第63回(2026年6月18日放送)
今回のテーマは「俺が見たバブルの時代」。
単なる懐古話ではなく、現在の日本の状況と重ね合わせながら、実際にバブルの絶頂期と崩壊を現場で見てきた立場から当時を振り返る回となりました。
話は現在の政治状況から始まります。公明党が政権から離脱したことについて触れながら、これは単なる政党の話ではなく、バブル崩壊後の日本が選んできた路線の転換点として見ることもできるのではないかと語ります。バブル崩壊後の日本は、大胆な改革よりも安定を優先し、失業率の上昇を抑えながら社会全体で負担を分かち合う方向へ進みました。その流れが三十年以上続いてきたという見方です。
そこから話題は1989年から1990年頃の日本へ移ります。当時の日本は世界でも突出した経済大国でした。東京の土地だけでアメリカを何度も買えると言われた時代であり、日本企業は世界中で存在感を示していました。三菱地所によるロックフェラーセンター買収も、その象徴的な出来事として紹介されます。当時、三菱地所の財務部門に在籍していたこともあり、その頃の空気感を間近で見ていたそうです。会社の手元流動性は世界トップクラスで、丸の内を抱える企業として圧倒的な資金力を持っていました。日本企業が海外企業や不動産を次々と買収していた時代であり、日本が世界経済の中心にいるという空気が当たり前のように存在していました。しかし、その熱狂は長く続きませんでした。1990年に導入された総量規制によって不動産向け融資が厳しく制限され、日本のバブル経済は急速に収縮していきます。世界に先駆けて導入された規制だったこともあり、日本経済は大きな転換点を迎えることになりました。
ただし、バブル崩壊と同時に日本が一気に弱くなったわけではないとも振り返ります。本格的な停滞や国際的な地位の低下を感じるようになったのは2000年代以降であり、「失われた三十年」という言葉だけでは語りきれない複雑さがあると話します。また、日本の存在感が低下していく一方で、中国が急速に成長していった流れにも触れられました。かつて日本が担っていた役割を中国が引き継ぐような形で投資が集まり、世界経済の重心が移っていった時代でもありました。日本企業や日本社会も、その変化に深く関わっていたと振り返ります。
後半では、バブル当時の空気を象徴するエピソードが次々と紹介されます。深夜の東京ではタクシーを捕まえることが難しく、通常料金の二倍、三倍を払うことを示しながら乗車を競い合っていたそうです。それでもテレビ局関係者が持つ巨大なタクシー券には誰も勝てず、タクシーが一斉にそちらへ向かってしまうことも珍しくありませんでした。今では考えられないような話ですが、それほどお金が街にあふれていました。地上げの現場では現金が紙袋単位で動き、一万円札を束にして運ぶことも日常的だったそうです。数億円単位の現金を持って移動することもあり、その感覚自体が現在とはまったく異なるものでした。
海外出張の思い出も印象的でした。ヨーロッパの有名ホテルや高級レストランでは、日本企業の名前そのものが大きな信用を持っていました。前日に現地へ入り、ホテルやレストランへ挨拶を済ませ、翌日の会食に備える。会社名の入った名刺を差し出すだけで特別な対応を受けることもあり、日本企業のブランド力が世界中で非常に強かった時代だったことが伝わってきます。当時の日本は、経済力だけでなく自信にも満ちていました。海外へ行っても日本企業で働いていること自体が大きな信用となり、日本人であることに対する見られ方も現在とは大きく異なっていたそうです。
今回の放送では、バブルを単なる好景気として振り返るのではなく、その時代に何が起き、なぜ変化していったのかを実体験を交えながら語っていました。政治、経済、国際情勢、そして街の空気感まで含めて、日本が最も勢いのあった時代とその後の変化を振り返る内容となりました。
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毎週木曜日 深夜0am - 0:30am
DJ:苫米地英人
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