
第53回(2026年4月9日放送)
テーマ:「憲法9条改正について PART②」
【憲法9条改正をめぐるリスクと現行法でできることとは?】
今回は、憲法9条改正をめぐる議論の中で、現在の日本の法制度の中で何が可能なのか、そして憲法を変えることでどのようなリスクが生まれるのかについて、かなり具体的に整理していました。
まず前提として、存立危機事態の認定には、「密接な関係にある国」が「武力攻撃を受けた」という2つの要件が必要になります。
そしてここで重要なのが、「武力攻撃」という言葉の定義です。これは日本国内の法律だけでなく、国際法上の定義に基づいていて、基本的には相手が“国家”であると認定されて初めて成立する概念です。つまり、単なるテロや非国家主体による攻撃ではなく、「どの国がやったのか」を明確にする必要があるということです。
この前提に立つと、台湾有事を存立危機事態だと断言することは、単なる安全保障の判断を超えて、中国を事実上「敵国」と認定することにつながりかねません。これは外交的にも極めてセンシティブで、場合によっては日本側から戦争の意思を示したと受け取られるリスクすらある、非常に重たい判断になります。実際のシミュレーションでも、政治家レベルでもその認定は簡単にはできない、という現実があるという話でした。
一方で、中東情勢のように、イランが明確に国家として他国を攻撃しているケースでは状況が異なります。攻撃主体が国家として特定できるため、「武力攻撃」の認定がしやすく、日本と密接な関係にある産油国が攻撃を受けている以上、現行の法制度の範囲内でも、ホルムズ海峡への自衛隊派遣は理論上可能だという整理でした。つまり、憲法改正をしなくても、すでにできることはかなりあるということです。
そのうえで本題として語られていたのが、憲法に自衛隊を明記することの本質的なリスクです。これは単に「自衛隊の存在を認める」という話ではなく、それが憲法上の「国の義務」になるという点にあります。義務になるということは、その維持のためにどんな法律でも作れるということを意味します。
たとえば、人員不足になれば徴兵制に近い制度を導入することも理論上は可能になりますし、サイバー能力や特殊技能を持つ人を選抜して軍務に組み込むような制度も作れるようになります。いわゆる「セレクティブサービス」のように、形式上は徴兵と書かなくても、実質的に国が人材を軍事に動員する仕組みはいくらでも設計できる、ということです。
現在の自衛隊は特別国家公務員という位置づけで、本人の意思で辞めることが可能です。しかし、これが「国の義務」として憲法に明記された場合、その前提は変わります。簡単には辞められない仕組みや、動員を前提とした制度が整備される可能性が出てくるという指摘でした。
さらに大きな視点として、日本は敗戦国として、戦後さまざまな義務を背負ってきたという話があります。戦後賠償、自国の制空権の制約、日米地位協定、そして国連の敵国条項などです。特に制空権や基地の問題は、日本国内であっても米軍の影響が強く及ぶ構造になっていて、これは敗戦の結果として受け入れてきたものです。
その一方で、日本はその対価として、憲法9条という特殊な立場を得てきたとも言えます。つまり、「軍事行動をしない代わりに、一定の安全保障を他国に依存する」という構造です。この構造によって、日本は戦後、自衛隊としての活動はあっても、他国のように戦争で戦死者を出すことなくやってきたという側面があります。
だからこそ、自衛隊を憲法に明記するということは、この「権利」としての9条を手放すことでもあります。そしてそれを手放すのであれば、本来は同時に、敗戦国として課され続けている不均衡な条件――制空権の問題や地位協定、敵国条項など――を見直さないとバランスが取れないはずです。
そこを変えないまま9条だけを改正してしまうと、義務だけが増えて、これまでの特権的な立場は失われるという、非常に不利な状況になりかねません。つまり、「何を得て、何を失うのか」という全体の設計を考えずに改正を進めることの危うさが強調されていました。
結論として、憲法9条を改正しなくても、自衛隊の強化や集団的自衛権の運用は、現行法の中でもかなりの範囲で可能です。だからこそ、改正ありきで議論するのではなく、日本が置かれている国際的な立場や、戦後から続く構造的な条件を踏まえたうえで、本当に必要なのかを冷静に考えるべきだ、という内容でした。
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毎週木曜日 深夜0am - 0:30am
DJ:苫米地英人
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